春日部セントノア病院

川越セントノア病院 総合
トップ
取り組み
施設案内
スタッフ紹介
イベント紹介
入院案内
職員募集
病院新聞
病院の沿革

病院短信

2015年12月

『教育の今と昔、五十年後に想う』

 

50年前、僕は地方の片田舎の中学2年生だった。当時は生徒の行き過ぎた行為を教師が叱るのは普通で、平手打ちか、時に拳で殴った。女性を殴るのは卑怯とされ避けられていた。叱られて廊下に立たされたり正座させられたりする生徒も多く、僕もよく座らされた。生徒同士のけんかは時々あったがいじめは少なかったと思う。たまにいじめがあると腕力の強い生徒が制止するか、誰かが止めに入ると周りの何人かが加勢して弱い者いじめは阻止された。陰に隠れてこそこそやる陰険ないじめはほとんどなかった。先生達の配慮で教室では公正さが保たれていた。生徒が勝手に騒いで授業ができないような状況はほとんどなかった。学校で先生に叱られたことがばれると親にきつく叱られるので家では親に言えず反省していた。貧しい家庭の生徒には教師は何らかの援助やアドバイスをしていた。悪い事は悪い、良い事は良いと善悪の判断を何となく教えられていたのだと思う。

今では体罰は禁止されたが陰険ないじめが横行し教室では私語が止まない事が多い。騒ぐ生徒を注意せず放置したまま授業を続けることも。教師が生徒を叱れないことを理由に教師の前で悪態をつく生徒もいる。けんかは少ない。けんかをするだけのエネルギーもない。その割に生徒が教師を殴っても教師が手を出せないことを知っていて調子に乗る生徒もいる。教師は生徒を厳しく叱る権限を持たない。教室の内外でも公正さが保たれていない。一部の親は「家族旅行でもう行った。修学旅行の行き先を変えてくれ」「若い男の担任だと娘が集中できないから先生を変えてくれ」等と勝手な要求をする。こうして学校の内外で不公正な状況が黙認され、生徒は、世の中はこんな風に不公正なのだと学んでいく。

昔と今でどこが変わったのか?当然だが体罰が禁止された。教師の信用は低下し親の社会性も劣化した。教師の権限が大幅に削減され教師同士も協力しなくなり(これは文科省の責任)、生徒の度を超えた行為を教師が叱ることが難しくなった。また親が子供を叱らずわがままな生徒が増えた。親から学校への不当な要求が異常に増え、教える事に無関係な教師の仕事も相当増えた。こうして教室の内外で公正さが保てなくなり、学校現場ではなるべく問題を起こさぬよう穏便にすませ本質的な問題から逃げる姿勢が目立つようになった。要するに、教師と親、特に親が「子供を教育する責任」を放棄するようになった。

なぜか。家庭と学校双方に問題がある。両者は協力し中高卒業までに大人になる為の基礎知識と社会のルールを教える。人は一人では生きられない。協調性が必要だ。身勝手な態度は許されない。他人に大きな迷惑をかけるような行動は修正する必要がある。悪い事をした時は叱り諭すこと。それができていないから、わがままで身勝手な人間が増える。

ではどうすべきか?子供が人の道に外れ間違った行動に走ったら叱る。親の過剰で不当な要求は堂々と拒否する。教師の事務負担を減らし権限を引き上げ教える事に専念させ、学校では教師同士が協力し公正さを示す。国の教育への介入は止め地方の自由に任せる。親も教師も互いに尊重し協力する。モンスター・ペアレント、モンスター・カストマー(客)、モンスター・ペイシャント(患者・家族)の起源は学校だ。某病院で末期ガンの患者が徐々に弱まり死期を迎えて亡くなった時、その主治医は他の患者の手術中で別の医師が対応したが、死亡した患者の家族に「(病室に)すぐ来い」と怒鳴られた。病院でもこんな事が時々ある。

普通にわかりやすい言葉で説得し拒否すればよい。ほとんどの場合は常識的な判断ですむ。簡単な要求を安易に受け入れると要求がエスカレートする。できないことはできないとある段階で歯止めをかけること。お客様は神様ではない。お互いの仕事を尊重すべきだろう。

 

医師  沢田 實