春日部セントノア病院

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2008年10月

戦争体験を語ること、聴くこと
 当院の患者さんの平均年齢は82.3歳ですから、当然どの患者さんも戦争体験を持っています。男性患者さんには戦場に赴き戦ってきた人々がいます。Aさんは海軍に志願して入隊、3年後呉で終戦を迎え多くの戦友が亡くなったラバウルに慰霊の旅をしてきました。Bさんは満州に出兵し、視力の障害と片足切断の負傷を負ってしまいました。Cさんは南支に出兵し、食糧難で九死に一生を得たと話します。そしてCさんは軍隊では食料は貰えず、貰ったのはビンタだけだったと笑いながら話しました。患者さんの話には武勇伝のような話は出てきませんが、戦後は皆さんが敗戦後の日本社会の復興と発展に尽くし、ほとんどの方が70台半ばまで活躍しました。
 女性では・・・Dさんは結婚後3ヶ月で夫が出兵してそのまま帰らぬ人となり、一人で闇米を売り歩いて子供を育て、苦労の連続だったと語りました。Dさんは、今の入院生活は食物の心配なく暮らしているが、これは夫を国に捧げたから国が自分にお返しをしていると思っています。Eさんは、中国大陸に出兵した恋人を7年待って戦後結婚したが、戦場で体力を消耗した夫は間もなく他界しました。夫は生前、中国の景色は素晴しくお前にも見せたかったと言っていたと話してくれました。Fさんは広島の女学校時代に軍需工場で働いている時被爆した体験から、戦争は絶対に起こしてはいけないと語りました。学業成績が優秀で軍国少女だったGさんは女学校時代を戦争一色で楽しい思い出は全くないと話しています。Gさんは12月8日を大詔奉載日だと教えてくれました。そして女性に共通しているのは、戦後一生懸命に生き、子供たちを立派に育てあげたということです。
 沖縄で生まれ育った私にとって第二次世界大戦の原体験は、住民が戦場を逃げ回ったことであり、近所の孤児院の友達のことであり、郷土防衛隊や同僚のひめゆり部隊生還者の話、日本軍による住民への集団自決や壕に避難している住民を追い出したこと、そして祖父母の戦死や戦後の収容所生活と重なります。社会人となって時に元兵士の中国大陸等での武勇伝を聞かされると、私は無性に腹が立ち心を閉ざしてその場から立ち去りました。おびただしい戦争記録出版物からも目をそらしてきました。この病院で患者さんの話を聞いてから、私はそれまで避けてきた兵士として戦った人の話を聴くことができるようになりました。戦後63年になりますから、戦場に赴いた人は最も若い人でも80歳を超え、その記憶も薄らぎ、患者さんによっては語ることができなくなっています。10年早く気がつけばよかったと残念に思いますが、今からでも遅くないと思います。あの戦争は何だったのか、戦争を二度と起こさないためにはどうしたらよいのか。歴史からしっかり学ぶこと、体験した人の話を伝えていくこと、そして自分が行動することが大切です。


医師 佐々木 昭子