春日部セントノア病院

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2010年4月

“オブリガード”“スパスィーバ”
当院に入院している患者さん達は、戦後日本の復興に大きく貢献した人々である。患者さんの活躍や経験から私達は学ぶ事が多い。積極的に教えてくださる方もおられる。
Aさんは86歳、海軍中尉だったが、戦後は日本を代表する物作りの会社で得意な英語・フランス語を駆使して全世界を飛び回り活躍された。入院の際はご本人が納得されて入院したが、ご家族が海外赴任のため外出・外泊が出来ない事などで、帰宅願望を強く理路整然と主張されるのでその対応には緊張が続いていた。その緊張を解いて下さったのはAさんでした。ある時流暢な英語で話しかけられ拙い英語で答えていたが、1ヵ月後、ポルトガル語ではボン ディア(おはよう)ケケアデ ノボ?(変わりないか?)トゥデイ ヴェリオ(変わりないよ。すべて新しいよ)と挨拶すると教えてくれた。なかなか覚えられず何日も繰り返し教わったので、同じテーブルの女性達が一緒に学び習得し、みんなでポルトガル語の挨拶をして最後はオブリガド(ありがとう)と師匠のAさんに御礼を言う日課が続いた。Aさんが昨年暮れに骨折して一般病院に入院したが、骨折の手術の他、心臓の動脈狭窄が見つかり心カテ施行、その後にイレウスを起こしたため鼻と肛門から管を入れての治療にすっかり憔悴して戻ってきた。“ボン ディア”の挨拶に応える事もなく、お話好きであったAさんの言葉が聞けなくなった。10日後“トゥデイ ヴェリオ”の返事があってもう大丈夫。
Bさんが入院して10日経ったある日、ここの生活はどうですか?と聞いたところ、“オーチン ハラッショ”と左拇指を立て笑顔での返事。「ロシア語ですよ。オーチンはとても、ハラッショは素晴しいです」。Bさんは中国北西部に出兵してシベリアに抑留され、昭和32年最後の帰還船で帰国した。収容所での暴力を避けるためロシア語を学び、通訳をするまでになったという。ズドラーストヴィチェ(こんにちは)、ボリショイ(大きい)、マリーノイ(小さい)、スパスィーバ(ありがとう)、パジャールスタ(どういたしまして)、ダー(はい)、ニエート(いいえ)。聴いただけではなかなか覚えられないのでカタカナでメモをすると、それではだめですよと叱られる。Bさんのご機嫌の良い時にそっとメモを取って覚える事にした。新政権が誕生してシベリア抑留兵への賃金補償法案が廃案になったが再度国会上程されることになったようだと話したら、「それは良かった。そうでなかったらあまりにも可哀想ですよ」と言って遠くを見る表情になった。またオリンピックで川口悠子さんがロシア国籍を取ってロシアの選手として出場する話には「そういう時代になったんですね」と静かに言った。帰国後はロシア語を全く使った事がないというので、よく覚えていらっしゃいますねと言うと「得たものはそれしかないから忘れたらもったいないですよ」と語った。
AさんBさん、外国語を教えてくれ、また沢山の感動をありがとう。
オブリガド!スパスィーバ!

 

医師 佐々木 昭子