春日部セントノア病院

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2011年10月

『少女時代の思い出』
先日突然に、昭和29年3月に小学校を卒業した仲間で古希の集いをするという案内状が届きました。私にとって小学校の同窓会は、卒業以来初で58年ぶりです。「懐かしいなあ、何人の仲間を認知できるかしら」。
1週間後「知名貞子さんという方から電話があったよ」と娘から電話番号のメモを貰いました。知名さん?…。思い出せそうで思い出せないまま電話をかけました。「あら昭子ちゃん!同窓会に出るでしょう?私も上京して42年になるの。東京の方が長くなっちゃった。一緒に出ましょうよ、昭子ちゃんに会いたいわ」。
知名さんの弾んだ声を聞いている間、思い出そうと記憶を手繰ってみるが思い出せない。と何分位たったでしょうか。突然、5歳くらいのおかっぱの女の子のシルエットが浮かびました。「知名さんって隣の家の?」「そうよ、今わかったの?小学校も中学校も一緒だったじゃない」と貞ちゃん。二人の話は40分余りも続いたのに、頭の中は女の子のシルエットのまま…。
終戦後、私の家族は学童疎開の小学生40人を引率して、熊本から沖縄に帰りました。初めは現在の首里中学校の校庭に軍用テントが張られ、そこで数ヶ月を過しましたが、その後、焼けてしまった私の家の敷地に6軒の規格ハウスが建てられ、私の家族、そして隣には知名さんや冨永さんたちも入ることが出来ました。
その当時、家の廻りは米軍の艦砲射撃の後だらけで、そのすり鉢状の大きな穴は雨でも降れば深い池となり、子供たちにとっては危険がいっぱいの環境でした。高台には米兵(MP)が銃をもって立っており、最初は怖かったのですが、そのうち子供の無邪気さでMPに話しかけ、みんなが肩車をしてもらったりした思い出もあります。
当時の沖縄、特に私たちの住んでいた規格ハウスの裏山のトラズ山には、破壊された戦車の残骸や沢山の人骨、破れた軍靴やへこんだ飯ごうが転がっていました。子供たちはそんな戦車でさえ遊び場にし、野山を駆けずり回って遊んでいました。しかしさすがに人骨の前では子供たちも一礼をして通りすぎたものです。
私たちの少女時代、沖縄戦をずっと引きずっていたことは事実ですが、それでもみんな良く遊びました。友達と思いっきり野山を駆けずり回った思い出は、私の少女時代の、今でも鮮明に記憶に残るひとコマなのです。
さて、電話から2週間たった今、女の子のシルエットは涼しげな眼の貞子ちゃんになりました。が、やはり10歳位の女の子のままです。はてさて58年ぶりに会う70歳になった仲間をはたして何人思い出せるのでしょうか。心細いかぎりの今日この頃です。

 

精神科医師 佐々木 昭子