春日部セントノア病院

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2013年4月

『ウィーンの街で』
ウィーン大学の中庭に面した回廊には大学ゆかりの学者の胸像や記念碑があるが、今回の散策では作曲家のブルックナーと精神科医のフロイトの胸像を見つけた。ウィーン大学は開業医で優れた精神科医のフランクル(「夜と霧」の著者)を大学教授として迎えた事を40年前に知って感銘を受けたが、フロイトも大学教授だったことを知りフロイト博物館を訪ねる事にした。
大学の側を通り抜けて19世紀の閑静な住宅街のなだらかな坂道を下りた所にそのクリニックはあった。扉を開け狭い階段を二階に上がると、細い通路の右側に待合室・診察室・自由連想の部屋・小会議室があり、左側に娘アンナの心理療法室と住居があるが、一部屋が六〜八畳程で小ぢんまりした造りになっている。この診療所は南の広場に面していて窓からは大きな樹の緑と太陽が眩しい。フロイトはこの診察室で多くの患者を診察し治療したが、その詳細で精密な診察は神経症や心的外傷の成り立ちを解明して、自由連想法や精神分析などの精神療法を創設した。この部屋から20世紀の文化や芸術にまで影響を与えた数々の著書が発表されたと思うと厳粛な気持ちになった。現在は写真や論文や書籍などが所せましと展示され、また古代エジプトの塑像やアフリカの面など著書に登場する資料も展示されている。
精神分析やフロイト研究について書かれた論文は難解な言葉で表現されて戸惑うが、フロイトの書いた文章は具体的で分かりやすい。実際に患者を診察し、患者の言葉や身体や精神症状を詳細に分かりやすい言葉で書いているから説得力がある。フロイト博物館は彼が1891年からロンドンへ亡命する1938年まで住み診療活動していた所である。フロイトはユダヤ人で、ナチスのユダヤ人迫害政策で収容所送りの危険が迫ったため亡命したが、四人の妹は強制収容所で処刑された。
フランクルもユダヤ人であるため強制収容所送りとなり妻と両親を収容所で亡くしている。「夜と霧」は強制収容所の体験を基に書かれていて、ロゴテラピー(その人が人生の意味を見出すように手助けする精神療法)は収容所の体験でその治療の正しい事が実証されたと云われている。
ウィーンの街では華やかさの陰にユダヤ人への差別や迫害の歴史があった事を思い、また自分の中の差別意識について問い直しながら散策した。


医師  佐々木 昭子