春日部セントノア病院

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2013年7月

『終の住処』
今年、日本は2020年開催予定のオリンピック・パラリンピックの招致活動が山場を迎えています。でも、私にとってのオリンピックは1964年の東京オリンピックです。私が就職・結婚して東京都文京区に居を構えたのがまさにその年でした。
六畳一間、家賃8000円の部屋からの出発でした。1965年に長男を、1970年に二男が誕生し、さすがに六畳一間では窮屈になり、二間のアパート(今の様にマンションはなかった)を探そうと話をしていた矢先、突然主人が亡くなりました。残されたのは三人の息子(三男は主人亡き後生まれた)と少しの生命保険・退職金・主人の会社の同僚や私の職場からの育英資金、その全てをつぎ込んで土地を買い家を建てました。それが現在住んでいる家、もう43年も前の事です。
最初は田舎から両親を呼び、私の弟を含めた六人家族で生活を始めました。幸いな事に私には看護師の資格・東京都の職員という比較的恵まれた職場があり、子供の成長に合わせて家も増築しました。紆余曲折はありましたが、気が付いてみれば父母は他界し、子供達はそれぞれ家族を持って独立、いつの間にか隙間だらけの空っぽの家になっていました。
沖縄大好き人間の私は一時移住も考えましたが、主人を始め父母・姉・その他親族の墓所が近くのお寺にあり、この家を終の住処にしなければと考えるようになりました。空っぽになった中身の再生、そして自分が一番心地よく過ごせる事をコンセプトに、家の大改修を考えています。建物は小さく生活の質を高く保つ事、いざという時の家族・親族の心の拠り所としての役割を果たす場所作りに、人生最後の仕事として只今着々と計画を進めています。
一方、私の生活を支えてくれた職業人生は空っぽになる事なく、今まだ続いています。認知症患者の看護に携わるようになって8年余、認知症患者さんに対する思いは8年前とは違ってきました。最初は身構えていました(分からない・怖い)。今は患者さんの前に付く【認知症】という病名を意識する事が少なくなり、普通に挨拶・世間話を笑顔で出来るようになったと思っています。
認知症は今後更に増加すると考えられています。治療・看護・介護もまだまだ途上です。しかし、春日部セントノア病院に入院している患者さんとそのご家族にとって、当院が終の住処的役割を担えるように、今後研鑽・努力を重ねるべく強い思いです。


《追記》
私が職業人生を卒業し、終の住処で暮らすようになったら「さくらもセラピー犬・警察犬を卒業して一緒に暮らそうね」と、さくらと話しています。


看護部長 住安 秀子